はじめまして。脱線おじさんと申します。
「脱線おじさんの独学記」をご覧いただきありがとうございます。
このページでは当サイト運営者である私=脱線おじさんの自己紹介について記載しております。
よろしくお願いいたします。
自己紹介
「お前はだれだ?」とよく質問やお問い合わせを頂くので、この場を借りて自己紹介と当サイトを開設するにあたった経緯について記載していきたいと思います。
そりゃそうですね。「どういう人間がどういった経緯で勉強方法や人生観を語ってるんだ」という話になりますから笑
私は負けず嫌い・頑固とよく言われます。MBTIという性格診断ツールを使ったところENTJ-Aという性格でした。うーん、合ってる気がする笑
以下、お品書き。というか目次を表にまとめます。
時代 | 概要 |
中学 | ゲーム大好きで勉強しない落ちこぼれ。資格試験をきっかけに。。 |
高校 | 資格試験で得た勉強法を元に、学年首席へ成り上がり。 |
大学 | 毒親育ちの不平不満が溜まり、引きこもりへ転落。 |
就活 | 愛犬が亡くなった事をキッカケに奮起。 |
研修時代 | IT資格のCCNAに独学社内最速で勝利。 |
社会人① | 初現場で終電まで残業。社会の辛さを知る。 |
社会人② | 2現場目はホワイト。独学で資格取得に挑戦開始。 |
当サイト開設 | コロナ禍のため、資格試験中止。この機会にと当サイトを開設。 |
長ったらしくてすみません。
なんだかんだで中学時代から資格取得が私の人生の岐路に大きく影響していたみたいです。
それぞれ、見出しを付けて補足していきます。
中学時代
えーと、勉強しないでゲームばかりやってる馬鹿でした><
大乱闘スマッシュブラザーズが地元最強でドヤ顔してたガキです。生きててすみません。。
学校の成績もなんと、198/200位でした。頭わるすぎる。進学も困難。。
そんなおり、友達に「脱線おじさんってゲームはうまくても勉強はダメダメだね」と
バカにされたのをきっかけに猛勉強することになりました。悔しかったので「ゲームでも勉強でも全部勝ってやる!!」と熱くなったんでしょうね当時は。ガキですねー。
当時、小学生の漢字すら書けなくて国語の授業で唯一、漢字テストの補修を受けてました。
そこから苦手な漢字テストを克服しようと漢字検定に挑みました。途中から楽しくなってゲーム感覚になり、背水の陣で挑むためにゲームも全て叩き売って一日中勉強してました。
そしたら、なんと半年で漢字検定5級から漢字検定準1級まで取得でき、学校で表彰されました。
私の母校では中学3年生までに漢検3級を団体強制受験を実施してました。
そんな中で13歳で漢字検定準1級まで合格したことから、当時は伝説扱いされました。本当に嬉しかった記憶があります。
この資格独学の経験を活かして、学校の勉強にも打ち込み学内順位も成績上位10%以内に入り逆転しました。
この時、「努力すれば勉強はバカでもできるし勝てるんだ!」と確信を持てました!
漢字検定準1級の勉強方法についても下記に記載しております。あわせてご覧ください。
高校時代
順調に成績上位を高校時代も維持してました。
元々、平凡に暮らせれば良いと考えてたので高校前半は何も起こらず平和ボケ笑
今でもヒラ社員でヒラヒラと自由に羽ばたいていたいと思う、おじさんです。
ところが転機は容赦なく訪れました。
同級生に「お前は漢字検定準1級を持ってるだけで、他はたいしたことない笑」とバカにされました。
その同級生は裕福な家庭のエリートで有名な奴でした。
人の苦労や傷を知らないのかなと思いました。でも、今の自分がいるのは彼のおかげなので感謝してます笑
ともあれ、私より成績優秀でしたので悔しかったです。
この時、「絶対に勝ってみせる」と闘志が激ってきたのを今でも覚えてます。
自分の誇りを穢した。貶めた人間には引導を渡さなければならない。
まずは勝つ為の戦略を考えました。
シンプルなことに、エリート同級生(敵)の言葉に勝利のカギが隠れていました。
「お前は漢字検定準1級以外たいしたことはない」
この心無い言葉、発想を逆転すると意味が変わってきます。
「全ての科目で、漢字検定準1級を取得した時の努力をすれば勝てる」
という答えを見出せました。
思い立ったが吉日。また勉強以外の全てを犠牲にして一日中、勉強に明け暮れました。
願掛けに、漢字検定準1級合格の時に使った漢字書き取りノートに、1時間勉強するごとに正の字を書き足すという儀式もしました(狂気)
そして、挑んだ結果は想像以上の大戦果でした。
成績で勝ちたかった同級生を遥かに超え、全ての同級生に勝ってました。
そう、私は学年総合1位になってました。。今でもこの時の感動は覚えてます。
しかし、その直後に人生最大のピンチに追いやられました。
親が離婚し、経済的な理由から大学進学ができるか危険な状況になりました。
確実に生き残る道は、ただひとつ
「学年首席を維持し、特待生枠を得ること」
親の離婚にあたり、幼少期から思い入れのある自分の部屋を追い出されました。
精神的におかしくもなりました。この時は耐えられましたが、後に大学生時代にストレスが爆発してしまいます。
追い打ちをかけるように引越し作業の二日後には期末試験でした。家庭裁判所の手続もあり四苦八苦してました。とても勉強時間なんか足りません。
担任にも同情されました。周りの同級生からは「次はあいつに勝てる」と思われ四面楚歌。
この時、人生最大の命懸けの勉強をしました。友達との遊びも絶ち、闘いました。睡眠時間も2時間未満です。身体がおかしくなりました。もう二度とやりたくない笑
結果、学年1位の座を死守できました。しかも前回の自分の総合点を更に上回る結果で、他者の追随を一切許さない状態でした。
この結果を見た担任の先生も驚愕していて「誰よりも努力家で、結果を出しても慢心せず一切の隙がなく、文句のつけようがない」と高く評価されました。本当に嬉しかったです。
この時、更に勝利の鉄則に気づきました。
①「結果を出した後は、周りが休みスキを見せる」
②「周りが休んでる間に、自分だけ更に爆走すれば奇襲できる」
③「学年1位を守るために、今の学年1位の自分を毎日倒し続ければ絶対に負けない」
要約すると、一つの言葉になりました。今も全力を出す時の座右の銘です。
「勝ったら追撃、負けたらリベンジ」
もう思い立ったが吉日。そこから卒業まで、己の掲げた鉄則に従い命懸けで勉強を無限に続けて無敗の学年1位となりました。
一番辛かったこの地獄の日々が、今の私の礎であることを痛感してます。
後に社会人になった時も、この日々を思い出して資格を90個以上取得するキッカケに繋がりました。
こうして、無事に希望の某大学の法学部に進学が決定するのでした。
大学時代
大学時代はニートしてました。すみません。。
言い訳をするとですね。言い訳はいいわけ??
20歳になった時に、自分の出生や毒親の再婚相手等に会って精神的に病んでいたのです。
ざっくり言うと、本作品は親のDV・不倫などのグロ要素を含んでおります。バイオハザードも真っ青なノンフィクション作品です。
「なんで自分だけ、こんな変な家庭に生まれたんだ・・?」
という、やり場のない怒りを溜め込みすぎて少しずつ漏れてきていました。これ中学生の頃から溜めていたストレスだったので、いよいよ爆発しました笑
うーん、それで全力で悪い方向にいきましたね。
「人生なんて、運ゲー。親ガチャ。くだらないどーでもいいや」とヤケになりました。
更に高校時代のライバルは親のコネで就活もラクラクだったのを見て余計に腹が立ちました。それに比べて、なんでこんなクソみたいな毒親・母子家庭に生まれたのかと。
当時を振り返ると、未熟な考えですね。でも、20年以上も理不尽な虐待や家庭環境のストレスを我慢してきたんです。本人の努力では解決できない闇なんです。。
令和風に振り返ると、中国の将来を諦観した若者「寝そべり族」に近いものがありましたね。
一日中ゲームをして外に出るのをやめました。当時はFF14やドラゴンズドグマオンラインなどのネトゲ廃人になっており、全部の戦闘職がレベルMAXになってるニートになってました。
ゲームでマクロを組んでコンボ技やレベリングの効率化とか滅茶苦茶やってました。後にこの時の効率化の思考回路がVBAによる業務自動化スキルへ繋がるのが笑えるところです。
まあゲームは楽しかったし、その界隈で今も大事な友人ができ、良い思い出もたくさんできたので悔いはないです。
また、私みたいに毒親育ちで苦しんでいて引きこもってる仲間ともたくさん会えました。
そのあとの、就活で苦しむんですけどね。うわああああ働きたくないよお。。
就活。はたらきたくない。
大学生時代のストレスが爆発したままで、就職活動はまともにできませんでした。
「なんで私だけ、こんな毒親・母子家庭の家に生まれたのか。こんな嫌な思いをしなきゃいけない環境に生まれたのか。そんな理不尽を強いる社会も世界も大嫌いだ!」
そんな思いを常に抱えて自殺を考えていました。わざわざ生きる意味もないと感じてました。
もうどうしようもないと苦しんでた時、更にショックな出来事が起きました。
子供の頃から一緒に過ごしてきた愛犬が亡くなってしまいました。
ショックで一日中、泣きました。食事も喉が通らず更に感情が爆発しました。
いよいよ自殺してやろうと思った時、心の中で自分に問いかけが聞こえました。
「負けっぱなしでいいのか?死んで静かに終わりにするなんて丸くなったもんだな」
中学高校時代も大変なことはありました。ですが追い詰められた時は己に檄を飛ばしてきました。
「ダメだったら死ぬか!ただしどうせ死ぬなら、死に物狂いで対抗して命懸けで行動してみよう!どうせ死んでもいいと思ったんだから、命懸けで何でもできるわボケ!」
そう自分に言い聞かせて、狂気の混じった努力ができるのが自分であるという誇りを思い出しました。「今回もそうだ、命懸けで行動してから死ぬことを考えよう」と思いました。
就職浪人をした状態で就活をする状況になりました。状況はとても不利です。
この時に子供の頃から私のことを一番気にかけてくれた叔母に最大の叱咤激励の言葉をもらえました。
「親から受けた理不尽を乗り越え、独りで状況をひっくり返してきた今までの自分を誇れ。社会の困難なんか、それに比べたら何一つ恐れるものなんかない」と叔母に励ましてくれました。
言われてみれば、今までの人生もそうでした。
どんなに困難があっても、「虐待してくる親に比べたらなにも怖くない。楽勝だ。かかってこい!」と開き直って不利な状況をひっくり返してきました。
そう、幼少期から毒親に深夜に叩き起こされ虐待されても私は折れませんでした。
不幸な家庭に生まれても、裕福な家庭の同級生を圧倒して、逆転していく自分に誇りを持っているという側面もありました。
この時、失敗・挫折といったマイナスの経験すらも力に変えていくという術を得ました。
本領発揮したのか、学年首席時代の爆発力・行動力・計画力が蘇りました。
面接でポテンシャルの高さを買ってもらって、大手のIT企業に内定を貰うことができました。
研修時代
インフラエンジニアとしてIT業界で働くことになりました。
それにあたり、CCNAという資格を研修期間中に取得することになりました。CCNAとはネットワークエンジニアの資格で、ルーター・スイッチ等の取り扱い技術を証明できる資格です。
当時の研修についても体験談を下記の記事にまとめておりますので、あわせてご覧ください。
会社の研修は厳しかったです。でも面接の段階で「入社したら研修期間中に厳しい勉強と資格試験が待っている」と教えてくれていたので、恐れる事は何一つありませんでした!
私は入社する前から、自主的にCCNAの勉強をしていました。
学生時代に培ってきた、計画力・決断力・行動力を発揮できました。「学年1位を取るよりも、こんんなもの簡単じゃあああああ!」と闘志を燃やして突き進みました。
3ヵ月でCCNAを取得するカリキュラムで研修を受けましたが、「IT業界未経験で、1日平均12時間以上勉強 × 3週間」という社内最速の期間でCCNAに合格しました。
上司や同期にも計画力・決断力・行動力が突出していると褒めて頂けました。今でも良い思い出です。
当時のCCNAの勉強方法についても、当サイトでまとめております。
社会人① 初現場で残業まみれ
最初に配属された現場はネットワークの設計構築の花形案件でした。
IT業界では最初は運用保守監視に配属される場合が多いですからね。その分、いきなり設計構築に配属されたのは嬉しかったです。
しかし当時は残業が多く、周りの運用保守監視部署にいて定時退社ができる同期がうらやましく思ってました。
そんなことを会社の先輩に愚痴ったこともあります。その時、先輩が言ってくれた諫言が今に至るキッカケでした。
先輩「俺も20代の頃は楽な部署にいて最初は良かった。でも、30代になって今はきつい目にあってる。スキルや資格を若いうちにつけろ。そうしないと干される、自分で選択ができなくなる。俺みたいにな笑」
と自分の経験を交えて、教えてくれました。
その後、先輩と一緒に金融系の24時間365日稼働が求めれる厳しい炎上案件に配属になりました。
百聞は一見に如かず、私と先輩は終電ギリギリまで残業する日が多くなりました。
私は運よく、別の案件に年度の切り替わりで異動になり、その炎上案件からは逃げ切れました。しかし残留組の先輩はあまりにもブラックな案件で、体調を崩し退職することとなったのでした。
そこで身に染みて分かったのです。「スキルや資格、力が無いと場所を選べなくなり地獄をみる」という本当の意味が。
社会人② 資格取得の挑戦へ
年度の切り替わりで現場が異動になりました。
相変わらず、最初は残業も多く大変でした。同期に比べて、あまりにも残業・出張が多かったので本社に直訴したこともあります笑
まだまだ血気盛んだったので、即激怒・即行動で職業訓練校の見学会に参加してました笑
上司が調整してくれて、ようやく定時で帰れるようになりました。やっと友達とも遊べるし落ち着いたと考えました。
しかし、前現場の鬱病になった先輩の記憶がよぎり人生について見つめ直しました。
「ここで友達と遊んで平凡に暮らしていいのか?それは社畜コース確定なのではないか?」
「ホワイト企業でもブラックな部署はある。ブラック企業でもホワイトな部署はある。つまり、部署ガチャはある。どこに行っても将来安泰など存在しない。ならば、企業や部署に依存せずにいつでも自分から道を切り拓ける圧倒的な実力を手に入れることこそが真の自由ではないか」
つまり、はたらきたくない。働いたら負けかなぁって思ってます。
これが社会人になって、導き出した価値観となりました。
「手軽に実力を付けて証明するには資格取得だ!」という発想にいきつきました。
そして今までの人生を振り返りました。
①中学時代に合格率9%の漢字検定準1級を独学合格した力
⇒難関資格を独学取得する実力
②高校時代に学年首席となり、5教科全てをトップまで高めた力
⇒文系理系問わず独学突破する実力
この2つの力を合体させることで
合体技:「あらゆる資格試験を独学突破する実力」を作れるのではないかと考えました。
ギガデインとアバンストラッシュを組み合わせてギガスラッシュを編み出すみたいな。社会人なんだけど子供っぽいノリ笑
でも、自分の全身全霊の力を発揮するなら、これだと直感が訴えてきました。
そして資格試験に連戦連勝し、様々な資格を取得できました。
職場でも上司に「それだけ若いうちに資格取得できたんだから、もう将来安泰じゃん!少しは休んで自分を労わったら?」と気を遣われました。
でもこの時、最強無敗の学年1位時代の信念が魂を打ちました。
信念:「勝ったら追撃、負けたらリベンジ」
今の状態は圧倒的勝利です。だったら答えは簡単!勝ったら追撃。即断即決でした。
気が狂ったように勉強をしました。勉強依存症になりました。
スマホ代わりに常に参考書を持ってないとストレスで気が狂うくらいに。もはや趣味になってしまいました。
大好きだったゲームもやめ、友人との交流も我慢して全てを犠牲に命懸けで、ただひたすらに己の力を高める事に貪欲に狂気と言われるくらいに勉強をしました。
それから5年以上、色々な事を勉強してきました。
そして、資格を約90個以上取得して現在に至ることになるのでした。
更に最近はランニングも導入して、勉強と運動どちらも己の限界まで挑むという習慣を身に着けて活動しております!
勉強していて眠くなったら、10km前後のランニングをして脳を強制的に叩き起こすという習慣を作りました。効率的なので結構おススメです。お金もかからないのでコスパ良し。
こうして自己研鑽を突き詰めたことで色々な人生観・選択肢を手に入れ、社畜にならずに自由を模索して生きていくという自分の望んだ道を進めることができるようになりました!
脱線おじさんの独学記 開設
当サイトは2020年から開設しました。
2020年はコロナ禍の初期で、資格試験が中止になり何もすることがなく、今までの人生を振り返るタイミングとなる年でしたね。
そんなおりに「それだけ資格があるなら情報発信をしてみては」と様々な方からご意見頂いたのをキッカケに資格学習を主軸にしたwevサイトを開設することになりました。
Google AdSenseの審査に合格することを目標にすることで資格試験の代わりに明確な指標となるものがあったのも大きいです。
まだまだ稚拙ですが文章をまとめて見出し・グラフを作ったりと、プレゼン寄りな知識を学べて、職務でもサイトを開設した経験が活用できております。人生なにごとも経験ですね。
メールやコメント等で、様々な反響を皆さまから頂いており、とても励みになっております。
当サイトを通じて知り合うことのできた方もたくさんいらっしゃいます。
webサイトの開設をして良かったと今も感じております。
今後とも、精進してまいります。よろしくお願いいたします。
ここまで読了いただきありがとうございました!
脱線おじさんより